去年の法事の後の酒の席で、お世話になっているお寺の住職さんと話す機会があったので、聞いてみた。
「アルタイの喉歌というものを聞いた時に、お経は歌なんじゃないかと思ったんですけど、歌ですか?」 「歌です。お経の横に、上げとか、下げとか、伸ばすとか、記号がふってあるんですよ。ただ、その程度とか、歌い方なんかは人によって違います。」 「やっぱりそうなんですか。ということは、歌の上手下手があるってことですよね?」 「そうです。イマジネーションが大事なんです。」 住職の口からイマジネーションという言葉が飛び出すとは思ってもみなかったので、びっくりしたのと同時に感激した。 どうりで、いいお経を読むわけだ。 ぼくも親戚の人たちも、この住職さんと住職さんのお経がお気に入りである。 心に響くお経なのだ。 「故人や仏様の姿を想像しながらお経を読むんです。そうするといいお経を読むことができて、聞いている方にも何かが伝わるようです。」 ふむふむ。 とてもいい対話ができた。 #
by oh_hira
| 2006-01-07 01:27
| 日記
家から徒歩2分ぐらいのところに伊勢神宮の東京支店である東京大神宮がある。
今朝、プールに行く前に詣でてきた。 縁結びの神様にパンパンとお参りして、おみくじを引くと、中吉だった。 ふむふむ、災いなく幸多し、と。 いいじゃないですか。 茂木健一郎の「脳と仮想」を読んでいる途中で、現実と仮想について考えていたので、 初詣は仮想だなぁ… と思い至り、 仮想を日常生活に取り込む必要性について考えるが、いまいちパッとした答がでず。 むにゃむにゃ。 #
by oh_hira
| 2006-01-04 14:37
| 日記
昨年のことながら、イームズ展と横浜トリエンナーレについて少々。
イームズ展、よかった。 何年か前にセゾン美術館かなんかで展覧会をやっていたことがあって、それを見に行っていたので、今回は行かなくてもいいかなぁと思ったりもしたものの、行けば必ず新しい発見があるに違いないと思い直し行ってきた。 やっぱり数年前に見た時は、学生だったし、デザインというものがさっぱりわかってなくて、ただの鑑賞者としてしか見ていなかったけど、作り手の立場になって見てみるといろいろと新しいものが見えてきて、とても楽しかった。展示内容も作品だけではなくて、イームズが興味を示していたものとか、創作のプロセスがたくさん展示してあって、非常に内容の濃い展覧会だった。やっぱり、できたものより、できるまでの過程が一番おもしろい。なんらかの創作に関わっている人がより楽しめる展覧会だったと思う。 映像作品がすごくたくさんあって、映像作品はこういう時でないと見れないので、見に行ってほんとによかった。いい家具をたくさん残しているけど、すばらしい映像もたくさんあって、ちょっと衝撃だった。ただ、たくさんありすぎて半日かけてやっと見終わるくらいだった。気に行ったものを何回も見たりなんかしていたら、それこそ一日がかりな感じ。 イームズの創作物を見てて思うのは、想像の種というものは、普通に生活していても、そこらじゅうにあるもので、イームズはその種を見つけるのがものすごく上手なんだなぁということ。もちろん、水をあげて芽を出させ、花を咲かせるのも上手だけど。 横浜トリエンナーレは現場に行った帰りに、最終日の残り2時間という状況で駆け込みで見てきた。 これもおもしろかった。 おとなの文化祭。 もうちょっとゆっくり見たかった。 慌ただしく中を見て歩いてる最中に、聞き覚えのある声に反応してふと右を見ると、村上隆と肩を並べて歩いていた。 おおっ、と思ったが、なにげに半年の間に3回目の遭遇。 前回と前々回は、家の近所で遭遇した。 #
by oh_hira
| 2006-01-04 14:10
| デザイン
将来的願望に関する夢ではなくて、眠っている時に見る夢のほう。
今朝、目覚めた直後、唐突に「最近いい夢見てないなー」と思った。 そのことにちょっとした衝撃を覚え、一日なんとなくそのことを考えていた。 考えてみると、毎日必ず眠るけど、うまく眠りにつくことができて、ぐっすりと眠り(いい夢を見て)、すっきりと目覚める、 というのはなかなか難しい。 いや、かなり難しい、と思う。 唐突に、と書いたけど、朝プールを始めたこととか、友達と話したこととか、考えていたことが、どうやら今朝ひとつにまとまったらしい。 そんなことを晩ご飯を食べながら学生と話していたら、一気に考えが整理されて、嬉しくなった。 ぜんぜん関係ないできごと同士が、点と点の状態から線に変わり、線と線が交わり新たな点が発生する瞬間というのは、どんなちっぽけなことであれ、楽しい。 そういう創造的なことをカタチにしていけたらいいなぁと思う。 最近、毎朝プールに通い始めてから、すんなりと眠れるようになった。 だけど、以前は、一日中図面を書くことによる集中と興奮状態がさっぱり静まらず、なおかつ体はぜんぜん疲れていない(肩だけが異常に凝っている)ので、なかなか眠れなかった。 ある側面においては、毎日泳ぐことは、毎日うまく眠るためである、と言えるかもしれない。 泳ぐことに関して言えば、毎日泳ぐだけで、いいことがかなりたくさんある。 肩凝りはだいぶ楽になるし、体は軽くなるし、ご飯は美味しいし、精神的にも健やかになれるし、なにより泳ぐことは気持ちがいい。 ただ、朝は必ずしもいい目覚めの日ばかりではない。 いろいろな御利益のある水泳だけど、目覚めまでは改善されなかった。 先日、少しお酒を飲み過ぎて帰るのがめんどくさくなって、友達の家に泊まったんだけど、朝起きて友達に「よく眠れた?」って聞かれて、「うん」とは答えたものの、そのやりとりに何か違和感を覚え、『よく眠れた状態』とはいったいどんな状態なんだ?と寝ぼけながらに疑問に思ったものの、よく考える暇もなくそのままになってた。 眠りや夢が記憶の整理などに関わることを考えると、いい夢を見るためには、眠る前の気持ちのありかたとかイマジネーションがきっと重要なんだろうと思う。 楽しいことだけの一日なんてありえないし、仕事をしてればきれいごとだけじゃ済まない。 となると、仕事が終わってから眠るまでの短い時間の間に、どれだけリラックして、いいイマージネーションを持って、ベストなコンディションで眠りに望むことができるかということになる。 なんだか大事な大会に望むアスリートみたいだ。 毎晩が勝負じゃないですか。 うまく眠るには、一定の技術が必要なんだろうね。 銭湯に行ったら、酔っぱらったおじさんが背中からひっくりかえって、「死ぬかと思ったー」と言っていた。 ちょっと間違えば流血の大惨事だっただけに、とぼけた一言は笑いを誘った。 そんな出来事に苦笑いをして、銭湯を出ると、黒猫と目が合い、少しの間、見つめあっていると、黒猫がくしゃみをした。 風邪をひいたらしい。 #
by oh_hira
| 2005-12-28 00:31
| 日記
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